人間関係の習慣「応援に徹する」
概要
特に、子どもとの関係において、
相手が求めていないのに
口を出したり
代わりに行ったりすることを
意識的に辞め、
「あなたはできる」
と応援することに徹し
信じて待つという内容です。
なぜ始めたか
私は、今年の夏から
子育てについて勉強を始めています。
「子育てを学ぶ」と言うと、
違和感がある方も
いるかもしれませんが、
その実、子どもに対する接し方
(こどものエンパワーメントを開放
という表現をしますが)、
子どもの能力を最大化させる
親としての関りを学ぶわけなのですが、
その本質は、
人との関わり方ではないかと
私自身は捉えているところです。
その中で、
人との関わりにおいて、
上手くいかないパターンとして、
相手が求めていないのに
アドバイスをするということが
一番最悪だ
という話があるわけです。
こちらからすれば、
口を出したい、手を出したい、
歯ぎしりしてしまうようなことが、
特に、子どもとの関わりにおいては
多いのではないかと思います。
けれど、そこで代わりにやってしまうと、
その子ども自身の主体性や考える力が
身につかないわけです。
下手をすれば、親の顔色を見ておけば
代わりにやってくれる
というふうに覚えてしまえば、
子どもの成長機会を阻害してしまう
というわけです。
では、どうすれば良いか?
教わった一番シンプルな方法は、
「ただ応援だけして待つ」
ということです。
これが、
実際やってみようとすると
難しい!
どうしても、
親心というものは、
反射的にサポートしたり、
代わりにやってしまったり、
口に出してアドバイスして
しまったりすることが、
思っている以上に多くて。
例えば、小さい話ですが、
我が家の末っ子が4歳で、
車に一緒に乗る機会が
あったのですが、
車に乗ることが大好きな
私の末っ子は、
助手席に自分で座ります。
けれど、中々、自分で
シートベルトを
上手くつけられませんでした。
これまでは、
妻や私が、
彼のシートベルトを
代わりにつけてあげていた
と思うのですが、
ここからやってみようと思い、
本人にやらせてみることにしました。
これまでも何度となく
つけてもらうのを見ているわけですから、
最初は本人も困惑するわけですが、
やり方は当然、分かるわけです。
そうすると最初は、
全然上手くいきません。
そもそも、
シートベルトをドア側から
引っ張ってくるということも
できなければ、
そこからバックルを自分の所に近寄せ
金具を差せるかというと、
結構難しい作業なわけです。
ですが、一度、
本人が完全にギブアップするまで
待ち、やらせてみることにしました。
ところが、やってみようと思っても、
車に乗り込むタイミングは、
次の予定の時間が決まっていたり、
急いでいるケースもあるので、
反射的に私がやりたくなる気持ちが
すごくありました。
ですが、意図的にぐっと抑えて、
「これは自分でするものだよ。」
と、関わってみるわけです。
そうすると最初は、
シートベルトを伸ばすことしか
できなかったところから、
バックルを持ってくることが
できるようになり、
金具に差し込むところまでするのですが、
最初は力が足りなかったり、
力のかけ方が分からず
金具につけられなかったり。
それでも、そのアシストに徹したところ、
約2カ月後には、
自分で体重のかけ方、
シートベルトのもってきかたが分かり、
自分でつけられるようになりました。
自分で装着できるようになった日には、
思いっきり褒めてあげることにしました。
「すごいね。
自分一人でつけられたね。」
と。
そうすると、小さなことですが、
本人は、「よっしゃー!」
と言って喜ぶわけです。
これが、非常に大事な経験だと感じました。
今回の事例は、
シートベルトをつけるだけで、
人生を大きく左右するような
内容ではないですが、
これを今まで通り無意識に
親が手伝っていたら、
本人がいずれつけられる時が
きたのでしょうが、
こういった、
「自分でやろう」
とする成長機会を
実は止めてしまっているのは、
親自身だったりするということは、
結構、怖い話かなと思いました。
「応援しています」
ということは、
裏返せば
「時間がかかっても待っています」
という言い方ができるな
と思いました。
子どもの成長機会を与えるために、
親自身が
更に時間コントロールを身に付け
子どもが時間がかかることを見越し、
それを待つ。
すごく忍耐がいることだと
思うのですが、
子どもとの関わりにおいて
非常に大事なことではないかと思い
実践しています。
効果
- 親としての忍耐力が身につく。
- 親としての時間管理に更に磨きがかかる。
- 子どもが時間をかけてでも、自分でできるという成長を実感することができる。
子育てとは
自分育て。
自分自身の能力が
備わりながら
子どもを通して
自分が
育ててもらう
ということ。





