自己成長の習慣「相応しいレベルで判断する」

概要
何か依頼ごとをされたり、
自分で選んだり、
何か行動を起こす時に、
「それをする自分は相応しいか」
という基準で、
取り組み方を
判断するという内容です。
なぜ始めたか
「自己概念」という言葉があります。
あまり聞き慣れないワードかと
思いますが、
簡単に説明すると、
「自分らしさとは何か、
自分で自分をどう評価しているか」
という言葉に
置き換えられるかと思います。
自己概念が低いと、
「私なんてこんなもんだ」
とか、
「自分はこの程度しかできない」
と、
自分で自分を抑え込んでしまうので、
可能性の芽が潰れてしまう
と言われています。
いわゆる、
「自己成長」という点で言えば、
能力が発揮されないことになります。
よく自己成長というと、
何を学ぶかとか、
どんな環境に身を置くかとか。
外的な要因を言いがちかと
思うのですが、
実はすごく大事なのは、
自己概念に代表されるように、
「自分で自分をどう扱っているか」
ということが、
すごくウエイトが高い
と思っています。
その時に、
人は、自分がやっていること、
自分の日々の暮らし、
自分自身で自分を、
どのような扱いをしているかによって、
この自己概念が、
自動的に構成されているのではないか
と思うわけです。
自己概念が高い人は良いでしょうし、
低い人は、中々、自己成長しづらい。
では、どうしたら良いか
というところで、
私が一つ考えているのは、
「それをやる自分は、
自分にとって相応しい状態か」
という質問を自分にするということです。
「本当は、こんなことをしている自分は
相応しくないんだよな」
とか、
「本当は、こんなことをしている場合では
ないんだよな」
と、
もし感じているのであれば、
そう感じながら、
その行為をしているということは、
非常に危険ではないかと思います。
一方、こういった話をすると、
得てして、
プライドが高いとか、
傲慢になりがちということで、
なんだかお高くとまっている
といった、
良くない作用が出るのではないかと
思う方も多いのではないかと
思うのですが、
ここは、少しニュアンスが違って。
私に相応しくないからやらない
ではないのです。
「私に相応しくないから、
どうやったら
相応しいレベルになるかを考える」
ということなのです。
本当の私だったら、
こんなもんじゃないと。
もっと、これぐらいしているはずだ。
この方向性・マインドの持ち方が
できるかどうかが、
大きな天下の分かれ道
なのではないかと思っています。
そうなってくると、
そんなに大きなことを
言わなくても良いですし、
もちろん、
志を大きく持つことは大事ですが、
自分は、遥か高みを目指すから、
誰でもできるようなことはしない
というニュアンスではないのですね。
誰でもできるようなレベルを、
私レベルだったらこうするな
という解釈で進めるわけです。
そうすると、どうでしょう。
文章を読んで頂いて
分かると思うのですが、
自然と行うパフォーマンスの
レベルが上がったり、
勢いが増したりするのではないか
と思うわけです。
それを実際、行動に起こすことで、
その行動を自分自身が振り返って
体感する・見るわけです。
これを一つ一つ肯定していくと、
そんなことをやっている自分自身に
少し自身が持てたり、
少し自分が好きになったりして。
その好循環が、
次のアクションを生む
ということで、
自分自身の成長を促すことが
できるのではないかと思い、
私自身、習慣にしています。
私レベルだったら、
ここまでする。
私に相応しいのは、
この基準。
そういった意味合いで、
日々の様々なタスクを
取り組んでみるという話です。
効果
- 自己概念を、自分で上げられるようになる。
- 自己概念が上がることで、更にパフォーマンスが上がる。
- 自分自身の基準を高く持つことで、一つ一つの行動のレベルを見直すことができる。
自己成長の源は
周りではなく
人ではなく
自分自身。
自分が自分を
どれぐらい信用するか
自分で自分を
どれぐらい好きと
感じるかが
大きな分かれ道。