空間の習慣「テレビを捨てる」
概要
自分の人生の長期的な幸せに
不要だと思われるものは、
そもそも、
見ない・触れない・意識を向けない
という内容です。
なぜ始めたか
生きていく上で、
長期的な計画に出会ったり、
使命に出会ったり。
もっとカッコよく言えば、
天命という言い方も
できるかもしれませんが、
そういったものに
囚われて生きていくのが
必ずしも良いかというと、
バランスがあると思います。
ただ、世の中、多くの場合は、
そういった中長期の目線ではなく、
今、目の前の美味しいであったり
リラクゼーションであったり
眠いであったり。
目の前の感情、
もっと言うと、快楽という言い方を
することもあるかもしれませんが、
そういったものに流れやすいのも
事実かなと思います。
例えば、
意識的に疲れているから眠っているとか、
今日は見たい映画があるから見る
ということは、構わないと思うのですが、
一番良くない状態というのは、
特に目的や意思もなく
だらだらと過ごしてしまうということ。
これが、人生における
大きなロスなのではないかと思います。
そういった時に、
今では当たり前かもしれませんが
私自身が行っていたのは、
この「テレビを捨てる」ということです。
これからの時代、
欲しい情報は自分で選べることが
当たり前だと思います。
誰かが決めた
誰かの意図が入ったものに
自動的に触れるというのは、
そこまで価値が高くないのかな
と思っていて。
別に、
オールドメディアが良くないとか
そういう批判をしたいわけでは
ないです。
同様に、捨てているものとして
スマホのゲームがあります。
これも、私が元々、
小学1年生になると同時に
スーパーファミコンを持つような
世代なので、ゲームが好きで。
ゲームをやってしまいます。
しかも、はまってしまうと
時間を使ってしまうので、
少なくとも自分のスマホには
ゲーム関係は入れない
と決めています。
やりたかろうが、興味があろうが、
人気があろうが。
自分のスマホへ入れることは
ないです。
どこでも出来てしまう状態を
環境的に作らないということを
心がけています。
テレビはお陰様で完全なしに
できているのですが、
どうしてもゲームがしたい
となったり、
少しぐらい休みたい
ということは、私もあって。
その時にどうするかというと、
これを0か100かにしてしまうと
日々のストレスもあると思います。
なので、
「条件付きで許す」というものを、
最初から設定しておくことも
大事だと思います。
例えば私の場合、
自分のスマホにゲームは入れませんが、
子どものタブレットには
ゲームが入っていたりします。
そうなると、タブレットは、普段、
子どもが使っているので、
それをいきなりぶんどってやる
というのは、
ケンカの元になるので、
物理的にできないじゃないですか。
そうなってくると、強制的に、
環境として制限がかかるということが
あり得るわけです。
多くの人は、
改めて冷静に良くないものだと思うと
一気にこれを0にしてしまうことが
あると思うのですが、
それがゆえに、中々、
長続きしない・持続出来ない
ということが
あるのではないかと思います。
何かを捨てると同時に、
それを完全に0にするのではなく
多少残るものを
どうデザインするか。
ここが一つ、
自分にとっての
空間・デザインの考え方ではないか
と思います。
効果
- 自分の時間を浪費させるものを物理的にアクセスできない状態にできると共に、時間をより有意義に使える。
- こういう時だけは使ってよい・触れてよいという条件を設定することで、持続できる環境を作る。
- 結果、自分の人生をよりコントロールできるようになる。
不要なものは
なくしたいが
その不要なものに
近づく理由が
必ずある。
その理由を受け止めて
コントロールすることが
大事。





