時間の習慣「必要無いものは無視する」

概要
自分にとってプラスに働かないもの、
嫌いなもの、嫌なものは、
全くリアクションをせず
無視するという内容です。
なぜ始めたか
時間を何に使うかというのは、
1つ、大きなテーマだと思うのですが、
必要なこと以外に、
全く意識を向けないということが
重要ではないかと思っていて。
特に、SNSやYouTubeのコメント等で
よく見受けられるのは、
自分と価値観・考え方が違ったり、
嫌だなと思った人がいた時に、
「嫌なのでやめてください」
「そういった考えは違うと思います」
と発信する場面です。
そんな時、コミュニケーション能力の
問題もあるのですが、
炎上したり、
前向きに言えば議論の種になることが
あると思います。
今回、これを時間の習慣、
自分の時間の価値と置き換えた時に、
果たして、そもそも、
そこへ意識を向けることが
自分の人生・幸せにとって重要なのか?
ということです。
わたし自身も、
自分の思い・考えがあって
色々なことをしてきていますが、
当然、それに賛同してくれる方もいれば、
それは違うという意見を頂くことも
あります。
あるいは、何かケンカごしに
言葉を投げかけられることも
あるわけです。
わたしは、その時に、
「そんな風に言うのは、やめてください」とか
「なぜ、そう思うのですか?」というふうに
声をかけること自体が
既に時間の無駄ではないか
というふうに思っています。
本当に相手のことを思って、
とことん話し合いたい・
話を擦り合わせたい
と思っているのであれば良いのですが、
単純に、意見が合わない状態に対して、
自分の人生にとって必要だと
思っていないことに対して
意識を向けるということ自体、
そこに時間と労力を
割いてしまっているんじゃないか
と思うわけです。
好きの反対は、嫌いではなく、
無関心ということで、
よく、「無視してはいけませんよ」
という例えで言われると思うのですが、
無視することが悪なのかというと、
わたしはそういうふうには
思っていなくて。
自分にとって必要ないものであれば、
全く無視してしまって
良いんじゃないかな
というふうに思っています。
世の中のトラブル・炎上というのは、
この「無視する」という考え方で、
解決できることがあるんじゃないかと
思うことがあります。
わたしは、自分自身の好みを
発信すること自体は構わないと思います。
その価値観が共通すれば、
同調して話が盛り上がり、
人間関係が生まれれば良いことだと
思うのですが、
価値観が違うものに対して、
わざわざ「わたしは違うと思う」
と言う必要はないと思うんですね。
「そうなんですか」
と言って終われば良いだけの話で。
わざわざ、そこに思いをぶつける
ということ自体が、
時間を有意義に使うという意味で
非常に無駄になってしまっているんじゃ
ないかなというふうに思います。
優秀な人ほど、急に会社をやめたり、
何かを始めたりすると言いますが、
こういう人たちは、
自分にとって必要なものだけに
時間をかけて、
必要ないと思うもの・行動・議論は
無視しているということの
良い例じゃないかなというふうに思います。
効果
- 自分の理想像に向かうために、時間を有意義に使うことができる。
- 不要なトラブルやいざこざを回避することができる。
- 心の平安を保つことができる。
自分にとって
必要なもの・重要なこと
自分の幸せに直結すること
それだけに
集中することが
大事なことで
価値観の違いや
考え方の違いを
ぶつけることこそ
時間の無駄